キャプテン時代の制服姿
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プロ野球選手時代 (左上に富士山が見えます)
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第1コース 9月9日(水)~10月9日(金) 鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京 |
古田が5月13日(火)に逝って四十九日になります。心からご冥福をお祈り致します。 人生の一頁を一緒に歩んでくれた、古田の思い出をここに記し、
一つの区切りとしたいと考えました。 古田家と青野家は、親戚付き合いをしている共通の知人が居て、そんな関係で古田と 私は、キョウダイ付き合いをした時期が有りました。 また、東京オリンピックの聖火リレーでは、皆さんご承知の通り彼は早鞆代表とし て、私は関工代表で唐戸から御裳川人道トンネル入口まで走りました。 その時は、共通の知人よりトーチの代用として約2kgのパイプをそれぞれに頂き、練 習をしました。 彼が大洋へ入団後は、25歳頃だったかと思いますが、川崎市の関東労災病院で怪我で 入院中に一度見舞いに行った記憶が有ります。 しかし、それ以後は、お互い、疎遠になってしまいました。 一昨年の、小西さんの住所確認の連絡を頂いた時、その共通の知人に連絡を入れ、古 田の住所を確認し、小西さんへ連絡しました。 あとは、メールで周知の通り、小西さん、村川さん、川崎市在住の増田さん達の努力 により古田の住まい確認が有り、歓迎会の実施等、写真で見る限り、古田が再び
明るくなったようで安心していました。 関東支部の皆さんの結束力の強さ、思いやりの強さを深く感じています。 今思えば、昨年の12月に増田剛と一緒に関東支部の忘年会に参加させて頂き、古田 と、親しく会話出来たことを嬉しく、感謝しています。 古田の栄光よ永遠に !! ありがとう !! 青野 秀雄